担当教員:
黒川 弘毅、伊藤 誠、冨井 大裕、三沢 厚彦、髙柳 恵里、牛島 達治、細井 篤、桑名 紗衣子
課題内容:
空間上のデッサンである。 彫刻の表現が触覚芸術であるといった場合、視覚による表現との違いの一つに視点が一定ではなく多極に有ることがあげられる。 これは「目で触る感覚」と言い換えられるかもしれないが、その視点の多極性が「人間」というモチ-フを前にしてどのような表現として展開されるか。 この課題は一つの素材から構造的な問題、表現の組み立て方まで自分で考えていかなければならない。 またこの制作過程の中で無意識に表現されている美術史的な問題も様々な形で明らかになってくるだろう。 これは基礎課程最初の課題として、制作者がすでに持っている立体に対する感覚および彫刻概念をできる限り多く表出し、その造形要素を意識し追求する実習として位置付けた。 自分にとっての基礎を考察するきっかけになればよいと思う。これら問題に対し、様々な表現を試みると共に、その造形力の深化を図る。
○室内を動き回るコスチュームモデル、(等身大)の制作。○段ボール(90×180cm)4m枚のみを使用する。○彩色、接着方法は自由。○研究室から作業用の下敷きとして、合板を一人当り1枚貸出。
彫刻は、「人間とは何か」という問いかけを根底において発しながら作り続けられてきた。 この意味において、彫刻の歴史は「人体彫刻」の歴史に他ならない。人体は、「正しい」形として作られてきたのではない。 人体彫刻は、その時代ごとに〈しかじかの様に存在するもの〉として作られてきたのであり、それはまた自らの身体が、眼に見える世界より揺るぎなく存在することを人類が感じ続けてきた証である。 現代において、人間を作ることの難しさは、彫刻を作ることの難しさと等しい。
モデルを観察しながら、塑造で人体を作る。その実践の中で、「人間」を彫刻で表現することの固有な問題について考える。 技術的には芯棒を使用したモデリング(1/2スケールのヌードモデル塑像制作)と、石膏によるキャスティング作業を行う。
b:内側のかたち例えばペットボトルの中の水はどんな形をしているだろうか。そしてその中の水を飲む時、水を含んだ口の中はどんな形をしているだろうか。 この課題は「内側のかたち」について感じながら「外側のかたち(木型)」を制作し、その木型の中に石膏を流し込み硬化した後、型から石膏でかたどられた内側のかたちを取り出す。 「内側のかたち」は「人間」をモチーフとする。制作する「外側のかたち(木型)」は板材(幅120㎜)を基本とする。
担当教員:黒川 弘毅、伊藤 誠、冨井 大裕、三沢 厚彦、髙柳 恵里、牛島 達治、細井 篤
黒川 弘毅、伊藤 誠、冨井 大裕、牛島 達治、細井 篤、桑名 紗衣子
「気になっている」「気にしてしまっている」こととは具体的な何かで説明できることなのか。 自身の表現の核となるべきものは、「したいこと」「好きなこと」ではなく、「つい、何気なく気にしている」ことにあるのではないか。 この課題では、以上の仮定に基づき、自身が「つい、見て、気になってしまっているものごと」を模刻(彫刻/立体に仕立て上げる)することを行う。 謂わば「モノマネ的な手法による彫刻」制作。大きさは等身大(自身の大きさ)以上。 素材は紙(コピー紙)を主素材とする。着彩に絵の具の塗装は厳禁、素材を貼り付けるなどの物質的な作業によって着彩を行う。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、高柳 恵里、牛島 達治、桑名 紗衣子、細井 篤、棚田 康司、丸山 富之、 箕輪亜希子
彫刻において「見ること」とは何か。「かたち」に するとはどのようなことなのか。今後の制作の様々な局面に関わる最も基礎的な疑問について、3つの課題A.B.Cのいずれかを選択し、それぞれの方法で追求する。
人間が自己を認識する段階(鏡像段階)において、鏡に映った顔を識別し、それが〈私〉であると発見することは大きな第一歩となる。しかし、その認識は映像的であり、実体としての顔(頭部)を把握しているわけではない。人間にとって最も重要なことは一人一人が別々の顔を持っていることである。顔を含んだ頭部全体を実体として塊として木の中か ら彫り出すことにより、人間表現を追求する。
第一段階:ひとつの場所からカラーテープを持って各自の場所を作る。面積は1人1畳(可変)その位置において、気にとまるものや、興味深く感 じられることを、いくつでも、見つかるままに記録する。記録の仕方は、ドローイングでも、立体でも、言葉でも、何でも良く、自分で実感し易い方法で、自由に行う。ただし制作時間中は決してその場所から離れてはならない。また、気にとまるもの、という場合、近いもの、遠いもの、から、見えるモノ、見えないモノ、まで、あらゆる次元で捉えて構わないので、出来るだけ、常識に囚われることのない、自由な視点を持って記録する。※この時、この記録を無理に作品と直結させて考えないで、あくまで記録に徹する。第二段階:素材/メディア第一段階で記録したものを2つの方法で実現化する。※制作のルールはオリエンテーション時に説明する。①: 与えられた素材でもって、かたちにする。(素材は直前まで未定)②:①で実現したものと「同等」のものを、全く異 質なメディア、テクノロジー等を選択し、かたちにする。(メディアは直前まで未定)※制作のルールはオリエンテーション時に説明する。
本小松石(30×30×30cm)を素材とする彫 刻表現。1週間の技術指導、プラン(模型またはデッサン)の提出の後、自由制作とする。「石で彫刻をつくる」ということは、各自が「石との関係をどう構築するか」ということでもある。プランの実現に向けて、それぞれが、それぞれの石との関係の構築のもとに、彫刻表現を追求する。
この実習は「彫刻E」を含む8週間にわたる継続的な塑造実習(型取りおよび素材実習を含む)の前半であり、この8週間の実習は次の選択肢の中からそれぞれのテーマを追求する。
ヌードモデルを置く。この実習を通して彫刻が持つ身体的な量と空間の感覚を習得する。後半(彫刻E)では等身で制作した塑像を型取りして石膏に置き換え、直付けの行程など塑像技法のプロセスを習得し、完成度を追求する。
動態のコスチュームモデルを置く。スケールは90cm前後。Bは後半(彫刻E)でテラコッタおよびF.R.Pによるキャスティングの技法のプロセスを習得し、完成度を追求する。
[金属]黒川 弘毅、伊藤 誠、冨井 大裕、細井 篤、丸山 富之、桑名 紗衣子、棚田 康司、三沢 厚彦[石彫・木彫]脇谷 徹 、戸田 裕介 、山本 一弥 、髙野 正晃、櫻井 かえで、多和 圭三、松本 隆、人見 崇子、箕輪 亜希子、長谷川 さち、諸貫 きよ恵
[金属]ブロンズあるいは鉄を素材とした選択実習。また、この実習は工房を駆使して表現する者として、作業環境を意識しながら表現に向かうための総合的な指導でもある。
等身のスケールで頭像を制作し、塑像からブロンズ鋳造までのプロセスを習得する。粘土、石膏、ワックス、ブロンズの各工程において、モデル(原形)モールド(鋳型)の技法を体験し、素材の変換の技術であるキャスティング(鋳造)を追求する。
極論すれば、鉄に関する技術を駆使すれば生活に関わるすべてのものを制作する事ができると言えるだろう。鉄は空間構築の表現が自由で容易な造形素材であると同時に日常的な生活環境をつくり出しているいわば工業的な素材でもある。このような環境に密着した技術の歴史を持つものであることを視野に入れつつ、鉄のみを素材として「世界を創る」という切り口で、作品から創出される空間について表現を展開させる。
この授業では、自然石(安山岩)を素材として人体モデル頭部を制作します。「石彫」の歴史は古く、現在使われている石彫工具の大半が出そろった古典古代を遙かに越えてさかのぼることが出来ます。多くの遺跡や過去の作例からも判る通り、石は彫刻素材として堅牢で、有に数千年の歳月を越えてその形状を保つことが可能です。また、石彫の制作過程には、人と物との原初的な関わりが色濃く残っており、今日でも多くの人々を素朴な魅力に惹きつけ、塑造、木彫、金属造形と並んで、彫刻領域のスタンダードの一つに数えられています。一方、現代の美術では、人工材料を含め、ありとあらゆるものが美術表現の素材としてはじめから容認され、日曜大工的仕事(素人仕事)による表現活動も全盛です。そういった状況において「石彫」は、他の素材に比べ、まず基本的な技術修得や経験を必要とされることから、正負両面から見直されるべき制作領域でもあります。この授業では、「石彫」の基本的技術を習得すると同時に、各自が、素材とモチーフとの間で、試行錯誤しながら造形の端緒を見出すことを望みます。
この授業では、木材丸太を素材として、人体モデルの頭部を制作します。モデルをあらゆる方向からよく観察して、紙にデッサンを描きます。デッサンを描くことで、人体のプロポーションや構造を理解します。木材の繊維の方向を意識して、直接墨でデッサンを描き、鋸を使って切断します。切断した木材を接合、接着して再構成することで、より自由にかたちを動かすことが出来ます。鋸を使い大きな面、のみを使い小さな面の構築を追いかけ、モチーフを立体として直接捉えて制作します。鋸やのみなどの手工具を使用することで素材の持つ力を体感し、かたちをつくる上で必要な技術を学びます。モチーフから触発されるかたちの魅力を自分自身で受け止め、素材に積極的に働きかけながら制作します。素材とモチーフと自分という三つの関係の中で、試行錯誤を繰り返し、ねばり強く制作することの大切さを学びます。明は、前提講義の場で行います。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、丸山 富之、棚田 康司、箕輪 亜希子
専門課程の最初の課題として、独自性を獲得するための実験と習作を徹底する、いわばコンセプトメイキングの実習を行う。 2年次までに経験した制作方法を更新してゆくばかりでなく、制作に至る様々な観点を検証してできるだけ多くの実験と習作を行い、少人数制のディスカッションの場を設けてプランニングセッションを行う。
3年次のカリキュラムポリシーにおけるイメージの実現化のプロセスを学び、多様なプランニングを立てることからプレゼンテーションの基礎について理解する。
様々な技術を修得するこの時期において、技術修練のみに関心をかたむけることなく制作意図を宙刷りにしても自らの感性を改めて見つめ直す。 「目」は形態を獲得しようとする意志を持つ。それは素材の中に感性を具現化する技術の問題である。
「私の感性」とはいったい何か。それを自分の中に漠然としたものとしてとらえて、しまいこんでいては、何も表現することは出来ない。 ここでの試みは、繊細であり、強靱でもある抽象的な「私の感性」をあえて客体化し、意識的にとらえていくことである。 そこで、意識の枠組みにはおさまらない要素を発見し、解放していく。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、丸山 富之、棚田 康司、Azby Brown、箕輪 亜希子
目に見える「彫刻」を作るということは、「見たことがないもの」「どこにもないもの」をついには「見つける」あるいは「見いだす」可能性の問題である。 作者の憧憬―妄想が物質へ働きかけるとき、物質は形象が出現する媒体となる。形象は、未知のものを見ようとする視線(まなざし)である内触覚の感覚によって生成する。 それは目に見える現実から程遠い希薄な世界の中で生じる存在感、もしかすると「途方もなく明るくてどこか不気味な感じ」かもしれない。 これまで制作した作品から、自分の気付いていなかった感性や体質そして、自分の表現のなかで意識していなかった「質」(憧憬―妄想、もしくは不気味な感じ)を再確認した上で、それらのものを取り込むことや、取り除くといった思考作業を繰り返し行う。 そのことによって、更に自分の表現を絞り込んだ明解な制作を行う。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、牛島 達治、細井 篤、丸山 富之、桑名 紗衣子、棚田 康司、Azby Brown、箕輪 亜希子
「逸脱」ということから何が連想されるだろうか。「脱線」「ピント外れ」など目的からずれたことから「反則」「タブー」「場外乱闘」など手段を選ばない方法まで含まれる。いずれにせよある程度のリスクを負う勇気を必要とする方法である。最終学年の初頭にこのテーマを置いたのは、これが目的に対して最短距離でもっともシンプルな方法を含んでいる可能性があることと、制作における「思い込みではない真に見たいと思うもの」に触れる可能性を含んでいるからである。ただしこの問題は「ピントを合わせる」努力がなければ成り立たない。この授業は比較的短期間ではあるが制作と共にこの期間に様々な手段を用いてプレゼンテーションの方法を考察する。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、高柳 恵里、牛島 達治、桑名 紗衣子、細井 篤、棚田康司、丸山富之、 箕輪亜希子
制作過程の中では、様々な要素が関わり状況を変化させる。それは制作環境や状況における動かし難い事実等により制限や条件が出てくる場合がある。変化する状況、常に動いている状況を射程に入れた制作の展開。この場合の「展開」とは分析を通した飛躍と言い換えられるかもしれないが、マイナス要因を引き受けながら結果として「今までなかったまったく別のもの」を生み出すことである。この提示は自分を取り巻く状況の分析、あるいはコミュニケーションの前提となっているものを疑う、という切り口で批評を行う。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、高柳 恵里、牛島 達治、桑名 紗衣子、細井 篤、棚田康司、 丸山 富之、Azby Brown、箕輪 亜希子
例えば 料理人として初めて目の肥えた客に料理を出すようなものを想像してほしい。なによりもまず責任感の問われる場であることを意識すべきだろう。そのためにはむしろ4年かかって積み重ねてきたものを反古にすることもあるはずだ。単に好きなものを作るのではすまされない緊張感が、大学が企画する卒業制作展と様々の学外展を前提とするこの課題の意味と言える。
伊藤 誠、黒川 弘毅、冨井 大裕、三沢 厚彦、岡崎 乾二郎、遠藤 利克、棚田 康司
大学院の研究課程は段階的なものではないかもしれないがひとつは学部の 4年間で培ってきたものをさらに発展させてゆく事があげられる。専門性、独自性の追求であるが、これは「作品を成り立たせている基盤を問う事」と言うことができる。従って 2年間を通じての計画概要とは、そのための方法論、技術、メディアの追求、作品と社会を関わらせる手段の考察、自己の作品がカテゴライズされているものに対する批判的な展開の可能性、などがあげられる。なお制作計画は各自の立案に基づくが、「彫刻研究Ⅰ」と「彫刻研究Ⅲ」は一般公開として学内展示を計画している。
撮影:柳場大